御祭神

大山咋神(おおやまくいのかみ)『日本書紀』

 

  • 名前の「くい」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち里山の所有者を意味する地主神。また、実りをもたらす大年神の子であり、農耕(治水)を司る神とされる。神話や伝承によると醸造の神としても有名で、子孫繁栄の御神徳がある。
  • 比叡山・延暦寺の守護にはじまり、京の都や江戸の鬼門を守護する役割を担ったことから要地の守護に用いられることが多い。それが転じて、家内安全や地域鎮護の神として篤い崇敬を集めてきた。

主な御神徳

家内安全 五穀豊穣 厄除け 家系繫栄 醸造守護

 

 

社伝略記

 大同2年(807)伝教大師最澄が寺院建立するにあたり、日吉大社の御分霊を東金の守護神として鴇ヶ峰(山王台公園)に勧請したのが始まりです。

 その後の嘉慶元年(1387)東金市史によると「和泉ヶ池に大蛇が棲んでいた。これは和泉家の娘であり、色欲盛んで邪心が深いため身が変じたもので、老若の境無く人を呑み込み傷つける。この災禍をおさめるため、社を移したところたちまちに大蛇を静めた」とある。大蛇の話は伝説であるが、疫病や災禍が起こり鎮めるために遷座されたと伝えられています。

 大永元年(1521)酒井氏が東金城へ本拠を移し、鬼門の守護神と崇敬され、江戸期には天領となり徳川家康・秀忠・家光と篤い崇敬を受けています。

 特に慶長19年(1614)家康公が鷹狩りに来られ当神社に三日間参篭して国家安泰、武運長久、一族繁栄を祈願されました。大坂の陣後、再び鷹狩りに訪れた際、大願成就の御礼として御本殿改築を命じられました。


日吉神社連合祭典

承応年間(165255)雄蛇ヶ池(灌漑用水)の水利権をめぐり、里間で起こった争いを御神威により解決に導く。寛文3年(1663)に感謝の意を表すため東金九区それぞれに山車・屋形を繰出して神幸祭に参加。隔年毎には例祭に併せて神輿の渡御、山車・屋形の巡行を行っています。

 

県指定文化財

東金ばやし

連合祭典の際に各里の山車・屋形の上で演奏される東金独自の御囃子

 

東金市指定文化財

日吉神社本殿 元和6年(1620

家康公の命を受けた代官高室金兵衛が大工棟梁鈴木佐渡守に下命して創建

日吉神社の神使 元禄8年(1695

正面にある一対の猿は神さまのお使い『神猿-まさる』 向かって左の『まさる』は勝ち運を授ける『勝る』。右は厄災を祓う『魔去る』と云われ大変愛されている。

日吉神社表参道杉並木 (樹齢400年以上)

39本の大杉並木で全てが御神木であり、近在では稀に見る御神域です。