東金の山王と菅谷の山王
滋賀県大津市の日吉大社を総本山とする日吉大社(旧称:山王権現)は全国至るところに祀られている。
東金市内では大豆谷の日吉神社(旧郷社)と菅谷の日吉神社(旧松之郷村社)がよく知られている。
菅谷の日吉神社は貞応二年(1223年)の勧請。
大豆谷の日吉神社も天台宗の開祖・最澄が大同二年(807年)、日吉大社の分霊を捧持して訪れ、最福寺の裏山の鴇ヶ峯山頂に祀ったのが起源とされる由緒ある神社で、伝承では菅谷の日吉神社より420年ほど創建年代が古い。
そうした関係からか、大豆谷の日吉神社を"大山王"とも呼ぶ。
この2つの神社の間にはこんな話も伝わっている。
いつのころか時代は定かではないが大豆谷の日吉神社の夏祭り当日のことだという。
威勢のよい若者たちが神輿をかつぎ上げ、山頂の境内から街に向かって石段を下りかけたとき、神輿に供奉していた宮役人の1人が社殿内に貴重品を置き忘れてきたことにきづいた。
このため行列を離れて忘れ物を取りに引き返し、ふと社殿の奥の方を見ると御簾の向こうに白い公卿装束をつけた人品いらしからぬ白髪の老人が端然と座っている。日ごろ全く見かけない顔なので宮役人が不思議に思い、「失礼ですが、どちらのお方さまでしょうか?」と尋ねたところ老人は「わしは菅谷の山王の神である」と答え、煙のように忽然と姿を消したという。
この話は宮役人の口からたちまち祭礼関係者の間に広まり、これを聞いた菅谷の村人たちは「きっと大山王の大祭には菅谷の山王さまが留守居に出向かれるのであろう」とし、以後祭りの日取りをずらしてかち合わないようにしたのだそうだ。
「ふるさとの歴史を尋ねて 松之郷区誌通史余話篇 p515」より転載。